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雑感 正月行事はなんでこんなにたくさんあるの? 雑感 正月行事はなんでこんなにたくさんあるの?

今週のお題「私の年末年始」


ツイッターだと長文で書ききれなかった部分があったので、はてなダイアリーでじっくり書きたいと思います。


車や街中やお店での正月飾りの少なさを肌身で実感しました。正月終わればすぐ捨ててしまうようなモノを用意しないのは合理的で、こういう文化は残しつつもささやかに省力的にしたほうが時代にあってると思います。


昔の人は日々の暮らしに余裕があったのか、正月の風習を作りすぎたように思います。うちも農家なので日本の四季と日々の暮らしが生活に直結しています。春に種をまき、厳しい夏にたくましく育て、秋に収穫し、冬は静かに過ごす、というのが百姓の一連の流れかなと。


稲わらでしめ飾りを作り、収穫したもち米で餅をつき鏡餅をつくり、竹や松を山から切り出してデコレーションをほどこし門松を作る。あとは、樹の枝にモチや団子で作った団子玉をつけるまゆ玉というものも。あれはおそらく米の豊作を願った風習だったと思います。


でも、今の現代社会、こんなことしてられませんよね。朝早くに起きて夜遅くまで残業する生活スタイル。できるのはせいぜい年末の大掃除くらいです。なんでもかんでも材料費+製作費+製作時間が掛かり過ぎるのです。


最初に正月の習わしの破綻が現れたのが「おせち料理」。あれは年末に保存の効くものを料理しておいて、正月は食べ物気にせずのんびりしましょ、というツールだったのが、デパートやプロの料理屋に注文して済ませるようになりました。保存食作っとけという大前提が消えたので、もう年末年始のごちそうはどうでもいいです。なんでもありです。今年は各人の食欲にあった普段の料理を食べました。
鏡餅も消しやすい文化風習ですね。鏡餅を作る時間(蒸す+つく+丸める)も材料調達もままならず、さらに鏡餅を買ってきて飾ったとしても、それを処分しきれるような食文化ではありません。


今年の正月スタイルはシンプルなスタイルに切り替わりました。これがむしろいい方向に向いたんじゃないかと。変な儀礼に親戚一同ギクシャクすること無く、心の余裕ができたので、素の状態でリラックスして姪っ子などとすごろくや花札のゲームに興じています。


正月の飾り物文化を作った人に、「なんでそんな風習作ったの?」と問いただしたい気分です。来年もやれる範囲でみんなが楽しめる正月があればいい、それでいいのだと思っています。


本当に今年の正月は楽しかったなあ(∩´∀`)∩ワーイ